進化論にまつわる誤解その1

進化論にまつわる大きな誤解の一つは、「進化によって生物がより良い、優れた状態になる」だ。

結論から言うとこれは間違っていて、進化とは変化にすぎないのだ。環境が変化することによって生物は適応を迫られる。ここで生き残った生物がより多くの子孫を残す。結果、子孫は生き残った親たちに似ている。環境によって種が変化したのだ。

 

例えば、雪山に住んでいるウサギの種がいたとする。その種の個体の多くは白い毛に覆われていて、雪が降り積もっている山では天敵に見つからない確率が高い。しかし、徐々にその山に雪が降り積もらなくなったとする。茶色い斜面では白い毛のウサギが捕食されやすくなる。

すると、群れの中の茶色い個体が生き残る確率が高まる。最初は白かったウサギの種が段々と茶色くなった。進化したのだ。

しかし、進化はその種を「優れている」または「より良い」状態にするというわけではない。なぜなら、また環境が変わって雪が降り積もるようになったら茶色いウサギにとって生き残りにくい。

種が絶対的に良い優れた種になることはないのだ。

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砂漠に暮らしてきたミーアキャットは砂漠の地面のような色をしている。もし、ミーアキャットの住む場所が突然緑の草原になったら多くの個体が天敵の餌食になるだろう。

「進化」という訳語は誤解を招く

「進化」という訳語も厄介だ。なぜなら、この単語は「進歩」を連想させるからだ。「人類は進化した」というとまるで「人類はより良い、優れた種になった」と考える人もいるかもしれない。しかしこれは間違いで、「人類は環境に適応し、変化した」と考えるのが正しい。

また、つい私たちの中の種としての横柄さを抑えきれず、「私たちホモ・サピエンスは進化し、発展した生き物で、他の動物は下等だ」と考えてしまうかもしれない。しかし実際には自然は誰が優れているかを決めていない。勝手に人間が主観的に判断するだけだ。

 

異なる人間の社会に進化論を適用する誤り

過去の人類学者は間違った進化論を世界の様々な社会に応用しようとした。非欧米の社会を原始的だと見下し、欧米が最も発展した社会だと信じ、すべての社会は欧米のように「発展」した社会になると信じていた人類学者も多くいた。現在でも、多くの人が「社会が進化して欧米のような優れた発展した社会になる」と信じている。

しかしこれは進化論を間違って社会に適用した結果であるし、そもそもなにが優れているか、発展しているかを客観的に決めることは出来ない。単に自民族中心的な考え方に過ぎない。

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経済指標や新しい技術が「発展」の基準とされることが多いが、一部の人々が勝手に決めた基準に過ぎず、それらの基準をもって「彼らは劣っている」と特定の民族などを見下すのは間違いだ。

次に「進化」という言葉を聞いた時、どのようにこの語が使われているかを考えて見よう。ひょっとしたら間違った概念が当然の事実であるかのように受け入れられているのを目撃してしまうかもしれない。

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