構造的暴力とは?: 医療人類学による社会構造の批判

医療人類学は人々がもつ健康や病に対する理解の仕方、信念、価値観やそれに伴う健康や病の経験などを描いてきました。

一方で、医療人類学は医療や健康をめぐる不公正な社会の仕組みについて積極的な批判を避けてきたのではないか、と指摘することもできます。

構造的暴力の視点は、選択の自由と自己責任や、ライフスタイル、文化的習慣などに基づいた理解にとって代わり、社会の仕組みに対する批判社会正義の観点を与えます。

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構造的暴力は、医療人類学の主要な概念の一つで、医者で医療人類学者のポール・ファーマー (Paul Farmer)によって導入されました。この視点から、医療をめぐる不公正さに批判的な医療人類学者たちは、「構造的に不利な立場にある人々の健康がどのように脅かされているか?」を問います。(Farmer 2004b)「どのような不公正が社会に存在するのか?」や「誰の人権が侵害されているのか?」と言いかえることもできます。構造的暴力の人類学は社会正義の観点に基づいた歴史的プロセスの批判や長期にわたるフィールドワークによって、見えにくい抑圧の構造をあらわにします。

この概念は、ファーマーによって医療人類学に持ち込まれる以前に、平和研究の社会学者、ヨハン・ガルトゥングによって1969年にはじめて提唱されました。また、ラテン・アメリカでの社会正義を求める運動と共に生まれ育った解放の神学でも用いられてきました。そのほかにも構造的暴力の視点は様々な社会思想や理論から影響を受けています。

この記事では、最初に構造的暴力の概念を出来るだけ簡単に定義します。つぎに、この概念の起源をみていきます。そして、どのように構造的暴力の視点が社会構造の批判を助けるのかを解説します。最後に、構造的暴力をテーマにした医療人類学のエスノグラフィを一部紹介します。

構造的暴力を簡単に

まず、構造的暴力を簡単に定義してみましょう。

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構造的暴力(英: structural violence)とは、抑圧的な要素(例: レイシズム、セクシズム)などが長い歴史のなか、構造(社会の構造や、世界の経済構造まで)に深く組み込まれ、抑圧を受ける集団*に様々な危害を加え、権利(経済的・社会的権利など)を侵害することです。(Galtung 1969; Farmer 2004a)

暴力的な構造は特に社会的に危険にさらされやすい立場の人々(例: 労働者階級、民族的マイノリティなど)の健康に大きな影響を与えることは、罹病率や死亡率、労働災害の発生率などにも現れます。(Bourgois 2012)

また、「構造」はある社会の仕組みだけではなく、世界全体の仕組みのことも指しています。(例: 国Aが覇権を持ち、国Bにとって不公平な状況)

そして、構造的暴力の大きな特徴は、長い差別や植民地主義、帝国主義の歴史の結果から、社会構造の中に深く浸透した抑圧的な要素は継続し、絶え間なく再生産を続けます。(Farmer 2004a)このため、個人の力で自分自身の暮らしや尊厳、健康などを守ることが極端に難しくなってしまいます。

ここで注意しなくてはいけないことは、構造的暴力の視点は抑圧的な社会の仕組みを中心に扱うなか、抑圧を受けている無力な被害者という像を作りあげることが目的ではありません。自由意志や個人の選択に重きを置く考え方はあまりにも素朴すぎるので、構造が個人のエージェンシー(自身をとりまく環境のなかで個人が行動する能力)を制約することがあるということに注目しなくてはいけないということです。そして、抑圧の原因は社会や経済の仕組みにあるということにも注意してください。

*ここでいう「集団」はマイノリティ集団であることが多いですが、必ずしもマイノリティとは限られません。多くの社会の中で女性が数字では半数を占めていても抑圧されているという例があります。南アフリカの黒人も人数では多数ですが、少数者の白人集団によって搾取や支配、差別されてきた歴史があります。また、労働者階級も資本家階級と比べると大多数ですが、前者は後者に搾取されています。

暴力と平和の研究から

では、構造的暴力という概念の起源までさかのぼってみましょう。ノルウェーの社会学者、ヨハン・ガルトゥング(Johan Galtung)は1969年に、彼の論文『Violence, Peace, and Peace Research』で何が本当の意味での平和であるのかを根本から問うために、構造的暴力の概念を作りました。その際に、暴力の概念を広い意味で定義しました。

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彼が暴力と平和を広く定義したことには理由があります。平和について分析するとき、単に「戦争や紛争が起きていない状況」は真の平和状態というには不十分です。彼は、人間が肉体・精神ともに最大限の可能性を発揮できていない状態に、広い意味での暴力violenceが存在するとしました。つまり暴力とは、人間の可能性を遮り、行動を制約するものということです。(Galtung 1969)特定の集団の可能性や行動が社会構造によって制約されている状況は完全な平和状態とは言えないということです。たとえ弾丸が飛び交っていなくても、被抑圧集団の経済的な安定性や健康などが脅かされているところには暴力が存在しているということになります。

たとえば、第二次世界大戦後の日本は平和だと語られてきました。しかし、ここでの「平和」はとても消極的で狭い意味をもちます。

直接的な暴力と違い、暴力的な構造は見えにくいかもしれません。ガルトゥングは見えやすい個人的暴力と見えにくい構造的暴力を分けて考えました。個人的暴力(日常的に使われる、狭義の暴力)では、「AがBを殴る」という「誰」が、「誰」に「何」をしたのかがはっきりしています。

構造的暴力の視点は社会の仕組みにある暴力性をとらえます。たとえば、ある社会の中で集団Aは無償で教育が受けられ、集団Bは無償では教育を受けられない場合を考えてみましょう。集団Bは直接的で身体的な暴力を受けていなくても、集団Bに属す人々の可能性が否定されていることになります。

しかし、暴力的な社会構造が存在するのは誰の責任でもないというわけではありません。ガルトゥングは構造的暴力には「誰が誰を攻撃しているのか」がはっきりしいなくても、暴力的な構造を保持し利益を得ている人々の「ランクをつけることができる」ということを指摘しました。(Galtung 1969, 179)これは、ある人々は多くの責任をもち、またある人々はある程度の責任をもつということです。

そのような有利な立場にある人々は自身の手を使わずに、たとえば、法律や制度、警察や軍隊などを利用して自分たちの利益を守ります。(Galtung 1969)このことは暴力を見えにくくします。

たとえば、世界の富を独占する階級にとって、学校に行けず工場で劣悪な環境の工場でひたすら低賃金で服を縫う児童労働者はとても便利な存在でしょう。さらに、そういった莫大な富をもつ人々だけでなく、安く生産された衣服に群がるいわゆる中流階級の人々も(責任の重さは違えど)共犯関係にあるといえます。

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構造的暴力と様々な思想

医療人類学者は構造的暴力の概念と様々な社会科学の理論や思想を組み合わせることによって、不公正な構造がどのように作られ、継続されるのかを考えます。医療人類学者や文化人類学者は実際に、幅広い社会科学の理論や思想をとり入れます。

社会の仕組みがもつ暴力性を批判するという点で、マルクス主義などと相性が良いようにみえますが、実際には構造的暴力の概念とマルクス主義を深く結びつけた議論はあまりありません。これは、冷戦期にガルトゥングが構造的暴力の概念を革命的な左派思想の代わりとして提唱したことにも起因しています。(Bourgois 2012)構造的暴力とマルクス主義の違いのひとつは、前者は階級闘争をあまり強調しないところです。

いくつか例をあげるならば、ブルゴアは、現在米国の農場で働くメキシコ出身の移住労働者が新自由主義によってもたらされる暴力的な社会構造のなかで、労働力を搾取されるプロセスを本源的蓄積(英: primitive accumulation of capital)と比べます。(Bourgois 2013)ヴォークトは移住者の体や労働力、命までもが資本主義の仕組みによって商品化されて流通している中央アメリカの状況を描いています。(Vogt 2013)

もちろん、医療人類学者たちは他の社会科学者たちと同じく、マルクス主義から広い意味での(間接的な)影響は受けています。

シェパー=ヒューズやブルゴア、ホルムズはフランスの社会学者ブルデューによる象徴的暴力の概念と結びつけ、暴力的な構造が社会でどのように正当化されるのか、考察しています。(Bourgois and Schepper-Hughes 2004; Holmes 2014)

またホルムズはフーコーによる生権力(仏: biopouvoir, 英: biopower)の概念を利用し、どのように米国の権力がメキシコ出身の移住労働者の体と健康に及ぶのかを考察します。(Holmes 2013)

ファーマーは社会科学の理論や思想に加え、とくに解放の神学から影響を受けています。(Farmer 2004b)ラテン・アメリカでカトリック司祭、グスタボ・グティエレス(Gustavo Gutiérrez) によって提唱されてきた解放の神学も、個人の罪ではなく、貧困を作り出し保つ社会構造に対して批判的です。解放の神学は、貧困や不正が横行するラテン・アメリカで、カトリシズムとマルクス主義が結びついた思想で、社会で最も不利な立場にいる人々を最優先に連帯、実践してきました。これを貧しい者の優先的選択(英: preferential option for the poor)といいます。解放の神学はラテン・アメリカの社会正義を求める運動の歴史と現在を理解するためにとても重要な思想の一つです。

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ラテン・アメリカ(緑色)の位置。この地域では歴史的に米国とその資本による覇権と介入によって被抑圧者たちの権利が否定されてきた。一方で、それに対抗する様々な運動が—多くの場合、権力による激しい抑圧や監視のもとに—生まれてきた。
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医療人類学にて

ファーマーによって医療人類学に導入されたこの視点は、社会正義を強調します。さらにファーマーは構造的暴力は植民地主義帝国主義歴史のなかで作られ、維持されることを加えました。抑圧的な要素(例: レイシズムやセクシズム)は長い歴史の結果、構造に深く組み込まれて、集団を継続的に抑圧し続けるということです。(Farmer 2004a)

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ファーマーはレイシズムとセクシズムを抑圧の要素として特に注目していますが、レイシズムやセクシズム以外にも様々な抑圧の形が存在することにも注目しなくてはいけません。抑圧の要素をリストにしてみましょう。

構造に埋め込まれた抑圧的な要素の一例*:

  • レイシズム(人種主義・人種差別)
  • セクシズム(性差別)
  • ナショナリズム
  • ゼノフォビア(外国人嫌悪)
  • ホモフォビア(セクシュアル・マイノリティに対する嫌悪)
  • トランスフォビア(トランスジェンダーの人々に対する嫌悪)
  • エイブリズム(非障がい者優先主義)
  • 年齢差別
  • 階級差別

・・・など

*様々なアイデンティティや属性に対する差別が存在します。ファーマーはレイシズムやセクシズムに注目しています。ホルムズはレイシズムやゼノフォビアや公式な書類をもたない移住労働者が搾取されている状況を描きました。ヴォーグトは女性に対する暴力とLGBTの移住者に対する暴力などに注目しています。一方で、差別の種類でもとくに忘れられがちなエイブリズム、障がい者に対する差別と構造的暴力を結びつけた例は無いようです。この面があまり研究されていないのは、構造的暴力にかんする研究の弱みとして批判されてもおかしくありません。

構造的暴力の視点はいくつかの問題のある考え方を批判しています。

  • 個人の意思や、選択、行動、ライフスタイルなどに注目する考え方
  • 特定の文化がもつ特徴に注目する考え方

実際にはこれらの考え方が抑圧を受けて自由が制限されている集団の存在を隠してきただけでなく、非難してきました。

構造的暴力の概念は歴史的背景にも注目します。今ある不公正な構造を作り上げてきた歴史的背景を現状から切り離して考えることはできないからです。しかし、世界に存在する不公正が作りあげてきた、侵略や植民地支配の歴史が都合よく忘れられていることがよくあります。

歴史と構造

歴史的なプロセスのなか、抑圧的な構造が作られてきたことに注目しましょう。

ファーマー自身が医師・医療人類学者として働くハイチには、フランスの植民地主義の元、プランテーションが経営され、黒人奴隷がで搾取された歴史的背景があります。独立後もフランスによって課せられた借金によって虐げられてきました。それに追い討ちをかけるように、ハイチではアメリカ合衆国やその他の裕福な国による新植民地主義の覇権が続きます。ハイチ社会は世界銀行(World Bank)や国際通貨基金(IMF)による方針に左右されてきました。(Farmer 2004a)

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奴隷を「収納」するために人数や向きを表す、大西洋奴隷貿易に使う船の図。そこに人間に対する尊厳は存在しない。これは英国の船。(1788)
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植民地主義や帝国主義の方針はハイチだけでなく世界各地で抑圧的な構造を作り上げてきました。

ヨーロッパ人による先住民虐殺と土地の収奪や、奴隷制によってアフリカ人を商品として取引したことや、裕福な地域の人々がそうでない地域の移住者を安い労働力として搾取してきた歴史とその遺産が現在進行形の抑圧につながっています。

このように、今日存在する抑圧は最近になって突然現れたのではなく、植民地主義や帝国主義などの歴史的背景によるものだということがわかります。

この記事の後半で、メキシコと中米の例を詳しく紹介します。

新自由主義への批判

医療人類学者たちが構造に注目することには意味があります。まず、新自由主義*(英: neoliberalism)というイデオロギーの「個人は自由に行動をすることが出来るので、行動の結果は自分の責任だ」という考え方には問題点が多くあるからです。

*新自由主義には様々な定義があります。この記事では新自由主義を個人の選択と責任を強調するイデオロギーで、公共的なものが商品化されるプロセスとします。

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新自由主義とは1980年ごろから台頭してきた資本主義のイデオロギーの一種で、自由な市場があらゆる問題の解決策なので政府などの介入は必要ないという方針を米国や英国をはじめ、世界にも広げてきました。新自由主義では、自己責任が強調されます。しかし、新自由主義には矛盾点があります。個人の選択の自由と責任や市場による社会問題の解決能力が強調される一方で、政府は大企業などを積極的に支援します。(Harvey 2005)

また、新自由主義の広がりによって世界各地で(様々な度合いで)社会保障や医療、水道、交通、教育、住居などの生活に必要な、社会的権利として保障されるはずのものが民営化などによって商品として扱われるようになりました*。(Harvey 2005)

*米国では医療など様々な社会的な権利として保障されるべきものが、新自由主義以前からでさえ商品として扱われてきました。

問題点は、実際にはかなり社会構造が個人による行動や選択の可能性を制約しているエージェンシーを制約する)ということを無視してしまうということです。構造が抑圧を受けている個人の選択を制限するために、健康に生きることが極端に難しくなります。

たとえば、米国の黒人やヒスパニック系の人々は、貧しい家庭に生まれた場合、そもそも人生の最初期に生存率が低かったり(黒人の乳幼児死亡率は他の人種より高い)(Singh & Yu 2019)、近所に新鮮で栄養価の高い食材を手に入れられるお店がなかったり(「食の砂漠」という言葉があります)、医療費を払う余裕がない、など様々な偶然ではない要素が重なって、貧困から抜け出しにくく、健康な生活を送りにくい状況にあります。

また、米国では警察やギャングが特に黒人男性を暴力のターゲットにしています。黒人に対する歴史的で現在進行形の差別構造(奴隷制やジム・クロウなどの数えきれない差別制度の歴史と遺産と共に)が米国に存在していることを考慮に入れず、個人の責任を強調してしまうのは、不正確な分析であるだけでなく、差別の再生産に加担しているとも言えます。つまり、構造と制約を無視し、自己責任を強調してしまうと、新自由主義のイデオロギーを正当化してしまいます。

このことから、医療人類学では、個人の選択と健康を結びつける考え方ではなく、構造がどのように個人が健康に暮らすための選択肢を奪うのか、を批判的に分析します。

「文化」の問題点

さらに、構造的暴力の概念は特定の文化を病気や貧困と結びつける考え方にも批判的です。

ファーマーは国際的にハイチの人々はHIVの蔓延を防げないとして責められてきた例をあげています。(Farmer 2004a)

現在ではあからさまに「Aという文化にある習慣が貧困を持続させる」だとか「Bという遅れた人々は、Cという病気の蔓延を防げない」という人はあまりいないかもしれません。しかし、病が蔓延している時に「未開の部族がもつ習慣が健康を妨げている」や「民族Aは無知で、自分たちでは病気の蔓延を防げない」と実質的に言っているような報道や意見を耳にすることがあるかもしれません。

LocationHaiti.png
ハイチ共和国の位置。
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これはとても人種差別的で、本質化(英: essentialization)へ向かう考え方です。

また、無批判な「文化」概念の使い方に人類学者や社会科学者たちも気をつけなくてはいけません。

文化人類学者のオスカー・ルイス(Oscar Lewis 1914-1970)による「貧困の文化」という概念が存在し、この概念は貧困層の生活の習慣に問題があるとして、貧しい人々を責めるような形で使われてきました。(Bourgois 2001)

そのことから、特定の文化に汚名を着せるのではなく、社会構造を批判する重要性があります。

さまざまな形をとる暴力

構造的暴力は他の暴力と比べて見えにくい、構造という形であらわれますが、被抑圧者の権利を否定するという面で、様々な暴力の延長線上にあると考えられます。

フィリップ・ブルゴア(Philippe Bourgois)とナンシー・シェパー=ヒューズ(Nancy Scheper-Hughes)は暴力の連続体(英: the continuum of violence)という概念を提唱することによって、構造的暴力を含め、様々な形の暴力を包括的に分析しています。暴力の連続体は、構造的暴力象徴的暴力正常化された暴力(または、日常の暴力)からなります。(Bourgois 2012)

象徴的暴力(英: symbolic violence, 仏: violence symbolique)とは、フランスの社会学者、ピエール・ブルデュー(Pierre Bourdieu 1930 – 2002)によって提唱された理論で、抑圧されている集団もその抑圧を正当なものとして受け入れてしまうことによって、抑圧的な関係性が批判されずに再生産されてしまうということです。

正常化された暴力(英: normalized violence)や日常の暴力(英: everyday violence)とは、暴力が常態化している状態のことをいいます。医療人類学者のナンシー・シェパー=ヒューズはブラジル北東部の貧しい地域で参与観察をし、エスノグラフィー 『Death Without Weeping』(直訳するならば「泣き悲しまれることのない死」) を書き上げました。このエスノグラフィでは、貧困に陥り、乳幼児死亡率が極端に高いこの地域で、母親たちは生きる気力が低く見える乳幼児に対し積極的に愛着を覚えることはなく、そしてすぐにその乳幼児たちは命を落とします。しかし、このように暴力が常態化してしまって、母親たちは乳幼児たちが相次いで命を落とす現状に慣れてしまい、あまり大きく騒ぎ立てることがなくなります。(Scheper-Hughes 1993)

このように、抑圧は日常の様々な所に存在していても、常態化や正当化されることによって、見えにくいものになります。

構造的暴力のエスノグラフィ

最後に、構造的暴力を研究する医療人類学者たちによる、エスノグラフィの例をみていきましょう。

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ここで紹介するのは(医療人類学者の関心が集中している)米国やラテン・アメリカの各地で存在する構造による貧困や病、暴力などの例です。これらのエスノグラフィには地域に特有な歴史的背景の検討長期にわたるフィールドワークの結果が生きています。

米国とメキシコ、中米の暴力

米国からメキシコ、そして中米の国々にかけて暴力的な構造が存在します。この地域に存在する暴力を理解するために、この地域にある複雑な植民の歴史をみてみましょう。キーワードは米国の覇権です。

Felix Parra Episodios de la conquista La matanza de Cholula
Episodios de la Conquista: La matanza de Cholula — Félix Parra (1877) [Public domain] via Wikimedia Commons
テノチティトランにてエルナン・コルテス(Hernán Cortés)率いるスペイン人兵士たちによる先住民の虐殺(1519)を描いた油絵。

この地域にある構造の背景として、まずはスペイン人による初期の侵略があります。すでに先住民が暮らしているこの地域をスペイン人をはじめ、ヨーロッパの人々が侵略することによって、先住民が人種ヒエラルキーの最下部に追いやられ、肌の色の薄いヨーロッパ系の人々ほど恵まれているという現状にいたりました。メキシコを含めたラテン・アメリカの国々はスペインの植民地政策の際の、行政単位から始まり、独立へと繋がります。

Map of Mexico including Yucatan and Upper California 1847
メキシコの地図」(1847)左上の緑色に塗られ英語でアッパー(上)・カリフォルニア(Upper California)と呼ばれている地域は、アルタ・カリフォルニア(Alta California)というメキシコの領土で、のちに米国カリフォルニア州などの州となる。 見えにくいが、地図の中心近くに赤色で囲まれた地域は、すでに米国のテキサス州となっている。”Texas” は先住民の言語であるカドー語の táyshaʼ /t’ajʃaʔ/という単語に由来があり、スペイン語式の表記であることがわかる。
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次に、米国の帝国主義の歴史にも注目しましょう。米国が幾度となくメキシコの領土を武力を行使し占領してきました。現在のカリフォルニア州やテキサス州などは、ほんの一例です。(このような、元いた人々を土地から追いやり、入植する手法をセトラー・コロニアリズム settler colonialism といいます)

American Progress (John Gast painting)
American Progress (1872) —John Gast [Public domain] via Wikimedia Commons
コロンビア—女性として擬人化されたアメリカ合衆国—が大陸の西側へと「文明」とヨーロッパ系の入植者たちを導いている。そこには必死に逃げる先住民の姿がある。

米国の覇権はメキシコの内部にも及びます。近年でもメキシコは裕福な米国に安い労働力と資源を提供しています。米国とカナダ、メキシコによって結ばれた北米自由貿易協定*(英: NAFTA)が代表的な政策の一つです。これは新植民地主義的な方針といえます。

*NAFTAや新自由主義の覇権に対抗するため、メキシコのチアパス州を中心にサパティスタ民族解放軍(西: Ejército Zapatista de Liberación Nacional, EZLN)が先住民などの貧しい人々の権利を守ることを求め武装蜂起をしました。メキシコ政府は解放軍のメンバーやメンバーとして疑われた人々に暴力を行使しています。—サパティスタ民族解放軍にかんしてはル・モンド・ディプロマティークで日本語の記事が読めます。

メキシコ先住民は暴力や貧困の連鎖から逃げようとします。しかし、米国に存在する厳しい移民法が存在するので、多くのメキシコ人が「合法」的な手段で移住することは実際には不可能です。そこで、移住者たちはビザや就労許可の書類をもたずに、米国に書類なし(英: undocumented)の地位で入国します。公式な書類をもたない移住者は、移民当局に見つかってしまえば違法に入国していると見なされ、強制的に国外退去させられる対象になってしまいます。書類をもたない移住労働者のこの地位の危うさを利用し、米国では多くの雇用者が移住労働者を安い労働力として、米国籍の労働者が好まない職種や労働環境、待遇で雇います。

米国で広がる移民排斥論はさらに合法での入国を難しくし、武装化された国境などを作り上げ、暴力と貧困から逃れるための危険な移住(ギャングにお金を払ったり、過酷な砂漠地帯を通るなど)をメキシコ人に強いる構造を生み出しています。

例: 米国の農場で働くメキシコ先住民・移住労働者

医者で医療人類学者でもあるセス・ホルムズはアメリカ西海岸のある農場で働く、メキシコ先住民の危険な道のりを経てやってきた移住労働者が虐げられる構造を、アイロニーの効いたタイトルのエスノグラフィ、『Fresh fruit, broken bodies』(訳すならば、「新鮮な果実とボロボロの身体」)の中で記述しました。(Holmes 2013)

Farmland in the countryside of the Paso Robles-Templeton-Alacadero region, California LCCN2013633343
カリフォルニアの農場(参考)
Carol M. Highsmith [Public domain] via Wikimedia Commons

ホルムズが参与観察を行った、日系人と白人が経営する農場では明確な人種ヒエラルキーが存在しました。ヒエラルキーの上部に属する人種(日系人と白人の経営者と役員たち)ほど良い収入を得て、心地の良い生活を行い、中ぐらいの地位にある米国籍のラティーノが最下層で腰を折って作物を摘んでいるメキシコ先住民を監督しています。そのヒエラルキーは当然のことになっていて、日系人や白人の経営者だけでなく、移住労働者たちでさえ移住労働者が苦しむことは仕方がないと信じています。(Ibid.)これがブルデューのいう象徴的暴力です。

そして、先住民の移住労働者たちは、その過酷な労働環境のせいで体を壊してしまいます。体を壊した労働者たちは診療所に行きます。しかし、構造が健康を壊す根本的な原因であることに気がつかず、休憩をとったり、無理な体勢を取らないように、健康な食生活 — たとえば、新鮮なフルーツなどを食べること — をするようにと移住労働者たちにアドバイスしてしまいます。(Ibid.)ここにも新自由主義的な、個人の「自由」な選択に重きをおく、素朴な考え方の危険性を見ることができます。

Mexico-US border at Tijuana
米国とメキシコの国境に建設された壁
© Tomas Castelazo, http://www.tomascastelazo.com / Wikimedia Commons

メキシコ人だけではなく、中央アメリカの人々も暴力から逃れようとします。中央アメリカの各国も歴史的に、植民地主義や帝国主義、新植民地主義などの被害にあってきました。中央アメリカの人々は各国から、より安全なメキシコに逃げたり、メキシコを経由して米国へと逃げます。しかし、その行く手には同様に暴力が待ち構えています。

米国政府によるメキシコとの国境への巨大な壁の建設や移住者の子ども檻の中でで収容する施設の建設などが2019年現在に、ニュースなどでも話題になりました。

中央アメリカからメキシコを通りアメリカに逃げる、いわゆる「移民のキャラバン」も話題になりました。この一連の報道はこの地域に存在する暴力的な構造を象徴しています。

Honduran caravan path
2018年の10から11月にかけての「キャラバン」のルート。ルートは地図の右下、サン・ペドロ・スーラ(ホンジュラス)から左上のティファナ(メキシコ)へと繋がっている。
© Kes47 [CC BY 4.0] via Wikimedia Commons

例: 中央アメリカから逃れる人々に対する暴力

ウェンディ・ヴォーグト(Wendy A. Vogt)は中央アメリカから逃げる人々の体や労働力、命が資本主義経済のもと、商品になっていることを指摘しています。女性の移住者を狙ったジェンダーに基づく暴力(英: gendered violence)が続いています。たとえば、中央アメリカの女性の体が売り買いされ、中央アメリカの人々の労働力が搾取され、人々の命が身代金のための人質になっているということです。(Vogt 2013)

さらに、ヴォーグトはLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の移住者に対する暴力も見逃されていたと指摘しています。また、ヴォーグトは単に社会構造によって特定の社会集団が抑圧された被害者的な存在だけでなく、犯人になってしまう状況を描いています。(Vogt 2018)

Caravana migrante 05
赤十字社によって移動者たちのために掲示された地図。地図には、濃い赤で塗られた砂漠地帯や鉄道網、シェルターの位置、食事のとれる場所、無料で通話ができる設備、医療サービスの提供場所などの生存のために必要な情報が敷き詰められている。メキシコ・シティにて。(2018)
© Wotancito [CC BY-SA 4.0] via Wikimedia Commons

まとめ

20150916-OSEC-LSC-0179 (21452625860)
フードバンクの倉庫に積まれた離乳食。民間企業の工場などで過剰に生産された商品がフードバンクに寄付され、物資を必要としている世帯に届けられる。米国にはフードバンクなどのNPOや民間企業による寄付を中心とした「緊急」食糧支援のためのネットワークが確立されていて、食の量と質が不安定で不満足な状態(food insecure)にある世帯によって常態的に利用されている。新自由主義のイデオロギーと共に、国家は経済権や社会権の積極的な保証から手を引く。
米・ニューヨーク州ロング・アイランド・シティにて(2015)
[Public domain] via Wikimedia Commons

資本主義経済が新自由主義というイデオロギーと共に、不公正な富と権力の分布が世界を包み込むなか、人々の医療や健康をめぐる権利がないがしろにされています。この不公正な構造は再生産を繰り返し、今すぐに終わることはなさそうです。医療人類学では構造的暴力の視点が、このような背景のなか発展してきました。構造的暴力の人類学は歴史的文脈の理解と長期にわたるフィールドワークによって、見えにくい抑圧の構造をあらわにします。

一方で、構造的暴力という視点の弱みも指摘されるべきです。たとえば、構造的暴力の視点は資本主義を正面から批判できていないことを指摘できます。


最後に構造的暴力がもつ特徴をまとめてみましょう。

  • 構造が暴力的=非直接的な手段が被抑圧集団の権利や機会を否定している
  • 暴力的な構造が継続的に再生産をされる
  • 歴史的なプロセスである
  • 誰が暴力を振るっているかが見えにくい
  • 暴力的な構造から利を得る人々がいる
  • 暴力を常態化して正当化してしまうメカニズムが存在する(例: 自己責任論、合法性、偏見など)
  • 社会正義の視点によって批判されるべき

(Galtung 1969; Farmer 2004a; Bourgois 2012; Holmes 2013; Vogt 2013)

さらに知りたい

構造的暴力についてさらに知りたい人は、米国の人類学者によって書かれている論文やエスノグラフィなどをさらに読んでみましょう。

この概念についてよく知るためには、やはりポール・ファーマーの著作をまず読むことが理解を助けます。ファーマーによる『Pathologies of Power』(2004b)(『権力の病理』というタイトルで日本語版があります)は網羅的で、様々なケース(ハイチ、チアパス、シベリアの病棟など)から構造的暴力について理解できます。

ファーマーの書籍は、上記のものを含めいくつか日本語訳が出ています。一方で、構造的暴力の概念は米国の医療人類学で中心的に議論されているため、日本語や日本語訳はあまり多くありません。そのため、ここでは英語での書籍と論文を紹介します。

構造的暴力についてのエスノグラフィを読んでみたい場合には、セス・ホルムズによる『Fresh fruit, broken bodies』(2014)がおすすめです。このエスノグラフィでホルムズは国境を越える危険な道のりや、米国西海岸の農場で過酷な労働と生活をメキシコからの移住労働者と共にします。

また、貧困にかかわる医療人類学のエスノグラフィを読みたい人にはナンシー・シェパー=ヒューズによる『Death Without Weeping』(1993)がおすすめです。

このエスノグラフィはブラジル北東部の厳しい貧困が取り巻く地域での状況で母親たちが、すぐに死にゆく子どもたちに対して愛着をもてなくなる様子を描きます。公正さや社会正義について考えさせる、このエスノグラフィは医療人類学の名著の一つです。

学術的な論文を読む場合は、ファーマーの『An Anthropology of Structural Violence』(2004a)がおすすめです。この論文でファーマーは医療人類学でいうところの構造的暴力を説明しています。この論文の最後には、著名な医療人類学者たちによる批評のコメントがついています。それらを元に構造的暴力の概念が有用であるかどうか判断してみることも良いかもしれません。

メキシコと中央アメリカに存在する構造的暴力と商品化される避難者の体については、ヴォーグトの『Crossing Mexico: Structural Violence and the Commodification of Undocumented Central American Migrants』(2013)が簡潔でおすすめです。


参考文献

Bourgois, Philippe (2001) “Poverty, Culture of.” International Encyclopedia of the Social & Behavioral Sciences, 11904-1907. doi:10.1016/b0-08-043076-7/00841-x.

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